#7  糖尿病の歴史/健康栄養ちょっといい話

                                    
 

糖尿病の歴史 時代の背景や科学の発達により、日本人の生活スタイルは様々な面 で変化しました。例えば、明治維新により、私たちは肉を食べる機会が増え、そして第二次世界大戦後の高度経済成長により食生活の欧米化が進み、エネルギーの過剰摂取になっています。また、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、掃除機など電化製品の普及は、家事労働の時間を減らし、食だけでなく生活の形態も変化させました。このように摂取エネルギー量 が増加したにもかかわらず、自動車やコンピュータ等の普及によって活動エネルギー量 は減少する一方です。 このように、摂取エネルギー量と消費エネルギー量 のアンバランスが私たちの体に生活習慣病という形で多くの影響を及ぼしています。

糖尿病は、代表的な生活習慣病の1つで、患者数は年々増加しています。 世界の糖尿病患者数は、1995年で約1億3500万人いると考えられており、2000年には1億8000万人、2010年には2億2000万人、2025年には3億人に増加するだろうと考えられています。 日本では、1997年11月の厚生省の調査により、予備軍を含めて1370万人という結果 が公表されました。糖尿病は皆さんご存じのように、発症初期は自覚症状がなく、軽視されがちですが、合併症を伴う非常に恐ろしい病気です。
糖尿病が歴史上初めて確認されたのは、B.C.1500年、今から3500年前、エジプトのエベレスパピルスにある「多量 の尿を出す病気」という記述からです。 日本では、1027年の平安時代、源氏物語の主人公光源氏のモデルとなったといわれる藤原道長が糖尿病で亡くなったことが知られています。藤原実資の日記「小右記」にその記述があります。「のどが乾いて、水を多量 に飲む」、「体が痩せて、体力がなくなった」、「背中に腫れ物ができた」、「目が見えなくなった」という道長の病状が書かれています。下の写 真の紫式部日記絵詞に描かれている道長の体型はまるまると太っていて、その当時の貴族の贅沢な食生活をうかがい知ることが出来るでしょう。 近世まで、糖尿病は死に至る恐ろしい病気だと言われてきました。 1869年、ドイツの病理学者パウル・ランゲルハンスが膵臓にある小さな細胞を発見し、後にランゲルハンス島と呼ばれるようになりました。

1889年、ドイツの医師オスカー・ミンコフスキーとフォン・メーリングがイヌが膵臓を摘出することで重い糖尿病にかかることから、糖尿病は膵臓の病気であることを証明しました。 さらに、1901年には、アメリカの病理学者ユージン・オピーが糖尿病患者の膵臓が退化していることから糖尿病は膵臓内にあるランゲルハンス島不全によることを報告しました。 この頃から糖尿病の治療に関する膵臓の内分泌物を抽出する研究が、各地で行われるようになりました。

1922年、カナダのトロント大学で開業医のフリデリック・バンティングと医学生のチャールズ・ベストがインスリンを発見しました。同年1月、14歳のレナード・トンプソン少年に世界で初めてインスリンが投与されました。彼は、重症の糖尿病患者で、痩せ細っていましたが、劇的な回復を見たのです。糖尿病が治るインスリン発見の話を聞きつけて、あちこちからインスリンを求める問い合わせが殺到しました。このことからインスリン発見の出来事は糖尿病の歴史を大きく変えたといえます。このインスリン発見には様々なエピソードが隠されているのですが、そのことは次回にします。 1956年にイギリスの分析化学者フリデリック・サンガーがインスリンのアミノ酸配列を決定し、インスリンの構造は51個のアミノ酸から成り、分子量 は6000のペプチドと判明しました。
1979年には遺伝子組み換え技術でヒトインスリンが容易に製造されるようになり、かつ安全に製造できるようになりました。

 

藤原実資が書いた日記で藤原道長の糖尿病の病状が書かれている。 紫式部日記絵詞に描かれている藤原道長。 1997年11月に神戸で開催された糖尿病国際学会記念切手。
藤原道長とインスリンの結晶が書かれている。
 
 

病草紙に描かれている肥満の女。平安時代にも肥満に悩む人がいたのです。

ヒトのプレプロインスリンのアミノ酸配列